私の住む町は 阪神間のとある市です
これは 私の経験した大震災と コンパクトcameraで写した被災直後の写真です
建物の下に埋まっている人に ごめんなさいとわびながら シャッターを押しました
7階建てのマンションが 一瞬のうちに倒壊しました 亡くなられた方 十数名
生存者は 私は2名の方を見ましたが 住人の殆どが亡くなられました 合掌
1995年1月17日 午前5時47分 激震が襲いました
前夜寝苦しくて何度も起きてしまった私は 最初の小さな揺れで目を覚ましました
そのときはまだ電気もついていて 豆電球の灯りの揺れるのを見て 「地震だ」とベッドの中で思ってじっとしていました
と 突然下から突き上げるような揺れが来て 電気が消えました
天井から埃が落ちてきて あわてて布団をかぶり 後は震えていました
私は5階に住んでいます まるでジェットコースターのような轟音とゆれ
悲鳴が聞こえます 何時かもわかりません コンクリートがぎしぎしとなり始めました
コンクリートの建物は壊れないと思っていたけれど これは壊れるかも もう終わりかと思い始めたとき 突然に 揺れは収まりました
とりあえずは怪我はないが 部屋の中は 立っていたものはみんな倒れている状態
天井の梁の出っ張りでつかえて 食器だなは立っていたけれども・・
近くに住む姉の家は 大丈夫だろうか 少し明るくなるのを待って リュックに着替えと
直ぐにたべれるものを 懐中電灯で探してつめ 外にでる
そのときに 小さなカメラにフィルムも入れてもってでた
写すということに少し躊躇としたが 此れは半端ではなくすごい地震だから 周りだけでも記録しようと思った
でも個人の壊れた家は カメラをよう向けなかった
そんな TOSSYの写した10年前の記録です
震災から10年ということで 初めて公開します
姉の家もとリ合えず 立っていたし 家族も怪我はなく 3日間姉の家でみんなで過ごし 20日に そろって大阪の長姉の家に疎開した
その頃 知り合いに出会うと 挨拶はみんな 「よかった 生きていたのね」 だった
最近もまた 災害復興住宅での孤独死が 報じられていた
1年8ヶ月たって 白骨になるまで誰にも探してもらえなかったというのが 哀しい
10年たっても立ち直れない人が 切り捨てられようとしています
新潟の人たちのことも 心配です
災害は いつ誰の下に来るかわかりません
用意だけはしておきましょうね
2005年 1月15日
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あれから10年
2005年1月17日 被災した各地では 震災10年の記念イベントが開かれました
私も 神戸市で開かれた「阪神淡路大震災 117の集い」に参加してきました
これは bjogで書いております また フォットアルバムにもしておりますので 10年後の神戸
ぜひご覧になってください
blog フォットアルバム 「2005年1月17日」は こちら
私が 震災のページを作ったことを知った友人が 災害復興工事で神戸市板宿の方に行った
時に ポケットカメラで写した写真 及び 西宮市の新幹線の高架の写真などを提供してくれました
私の写したものとはまた違う写真です ご覧くださいね
「阪神大震災の記録2 photo by Mo」 は こちら をクリック |
12年目 2007年1月17日
今年もまた 神戸三宮 東遊園地で行われた 「1.17のつどい」に参加してきました
朝のうちは雨でしたが 午後からは雨も上がり 多勢の人の献灯の列は絶えることがありませんでした
アルバムを作っています 写真をクリックして ご覧くださいね 別窓が開きます BLOG記事にも書いています 「今年もまた 117のつどい」は こちらクリックです |
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